物心ついた時には、既に乗り物酔いの性質がありました。祖母の家に行くのに乗ったバスの中、
父親に連れて行ってもらった釣行のバスの中・・・。 とにかく乗り物にはとても弱かったのです。
酷い時にはバスに乗ると思っただけで気分が悪くなったものです。学校の、バス
で行く遠足の時はいつも前側の席にに座り、窓を開けて風を顔に当てながら行ったものですが、
結局は新聞紙を敷いたバケツのお世話になりました。他にも同じような子が沢山いた
ので余り気にはなりませんでしたが。
当然、対応策を講じなければいけませんが、「気持ちの問題だよ」という説が一番強くて、
「酔わないと思えば酔わない」というのが一番の有力な対応策だと言われたものです。しかし、
結局酔うものは酔うのです。人に言われただけでは直りませんでした。そうなると薬を使うと
いうことになります。
当時あった酔い止めの薬といえば「ト○ベ○ミ○」だけでした。
それを飲めば良いんでしょうが、これが私にとっては大変な話でした。何が大変かというと、
当時の私は錠剤の薬が飲めなかったのです。前回の「少し可笑しな朝ご飯」に
も書きましたが、当時の私は固形物を飲み込むのが旨くできなかったのです。
何気なく口に入ったものはそうでもなかったのですが、意識して固形物を飲み
込むことは至難の業だったのです。「薬を飲むんだ」と意識して口に入れると一層
駄目だったのです。薬を口に入れ、大量の水と一緒に飲み下そうとするのですが
、そうすればするほど私の喉は締まり、結局水は大量に飲んでも口の中には薬が
残ってしまいました。ある時などは、何とか飲めたのですが、その途端に固形物を飲んだということで
気持ちが悪くなり、折角飲めた薬を吐いてしまったことすらありました。結局は父親に
錠剤の薬を鉈の背で潰してもらい、粉にして飲んだものです。薬が乗り物酔いに
効いたかどうかは??です。
そんなことを何時頃までやっていたかというと、私の記憶では小学校6年生まで
だと思います。(自分でもそんな遅い時期までかな〜との疑念はありますが。)なにが
きっかけで飲めるようになったかというと修学旅行です。当時6年生は修学
旅行に行きました。私の学校では「日光」でした。当然、汽車とバスを使った旅行です。
確か、二泊三日だったと思うんですが・・・。当然、全ての移動は汽車かバスですから、私の乗り物酔いは暴れ捲くるはずです。そこで私は考えました
(と思うんですが)、楽しい修学旅行の最中ずっと乗り物酔いではやってられないと。
何とか薬を飲むことを克服しなければならないと。
そこで考えた方法というのは次のようなものでした。まず、学校の給食で残したコッペ
パンを用意しました。当時の子供たちは残したパンを布巾に包んで持ちかえったものです。
そしてパンは一口大に千切り、その中に薬の錠剤を指で埋め込みました。そして、それを
口の中に無理やり詰め込みました。パンで一杯になった口に今度はコップに組んでおいた
水を流しこみました。溢れそうになるのを上を向いて口をフゲフゲして堪えると、
パンは水を吸いこんで柔らかくなります。噛むと錠剤が歯に当たり固形物を意識してしまい
ますので、噛まずに一気に飲み込もうとしたのです。錠剤より遥かに大きなパンですが、
水を含んで柔らかくなっていて固形物という感じはしなくなっています。 これで自分の感覚を騙そうとしたのです。
そして、ついにこれを飲み込むことができたのです。
錠剤より遥かに大きなパンを飲み込めたということ。結果的に薬の錠剤を飲めたと
いうことで、精神的に成長した(?)私はそれ以降、錠剤を飲むことを全く
苦にしなくなったのです。勿論、修学旅行の時にも酔い止めを難なく飲めました。
そして、その薬の効果か、薬を飲んでいるという安心感からか修学旅行では汽車もバスも
全く酔わずに過ごすことができたのです。そして何時の間にか
薬を飲まなくても全く乗り物酔いにならないようになったのです。
ところで、薬といって思い出すのものに「富山の薬売り」があります。有名です
から皆さんも聞いたことはあると思います。昔、私が住んでいたアパートの家にはこの富山の薬売りが来てくれました。
一年に一度か半年に一度位の割合だと思います。確か当時ではオートバイを使って
来てくれたような気がします。家に着くと玄関の上がり口に大きな行李を置きます。
何個かが組み合わされていて、中に沢山の薬屋と元帳が入っていました。
黒い縁は漆塗り。編んである柳は茶色く塗られていたような気がします。この薬屋
さんの取引はちょっと替わっています。母親が差し出した赤い薬箱の残量を調べ、
元帳と見比べて使用量を逆算し、不足分の補充をして、また元帳に記入していきます。
薬屋さんが来たときに薬箱を常に一杯に補充し、補充分を使用量として代金を取るわけ
です。薬代はつけで、年末当たりにまとめて清算していたようです。当時の薬には面白
い名前が付いていました。「スグサガール」(解熱剤)、「熊の胆」(腹痛の薬)、
「ケロリン」や「ハッキリ」と言う薬は今も有名ですが、この流れかもしれません。
はっきりとは名前は覚えていませんが、達磨と体温計が描かれた薬の袋が記憶に
残っています。多分解熱剤でしょう。
そして、この薬屋さんの最後の楽しみは子供の玩具として置いていってくれた「紙風船」
でした。和紙でできた風船で赤・青・白・黄色などに塗られた丈夫な和紙でできた風船です。
銀紙で補強された口から息を吹き込むと膨らんで、手で突いて遊ぶものです。栓も無いのに
風船は中々萎まないのが不思議な玩具でした。この風船は今でも良く駄菓子屋で売ってます。
左の画像は最近家で買ってきたものです。当時も全く同じようであったと思います。
ところで、この写真の風船、空中に浮かんでいるのが分かりますか。別に上から
吊っているわけではありませんが、空中に浮かんだままです。これはどうしているんでしょうか
わかりますか?