駄菓子屋 1

 色々な思い出話を書いていますが、私のように昭和三十年代の子供とって一番大事な事の一つを今まで書いていませんでした。 それは「駄菓子屋」です。 とてもとても懐かしい響きです。 私たちが子供の時にはコンビニなんて無かったので、子供が少しばかりのお小遣いを手に入れた時には、いつも駄菓子屋へ向かったものでした。 当時のお金で10円とか20円でも、それなりに楽しめたものでした。 子供は何とか母親から小遣いを手に入れ、州に何度か、できれば毎日、駄菓子屋に向かうことを最大の楽しみにしていたのです。 私が行っていた駄菓子屋はお決まりの1軒でした。 住んでいたアパートの近くにはこの1軒しかなかったからです。 駄菓子屋へは一人で行くこともありましたし、近所の友達と声を掛け合っていくこともありました。 アパートの自分の家を出て、アパートの裏口に出ます。 左に歩き出すと、すぐに野球をする小さな原っぱになります。 そこも抜けるとアパートの西の端の境界の通りに出ます。 4m程の幅の通りでしょうか。 左から右に緩やかな上り坂になっていて、左に行くとH工業高校のグランドの外れ、野球場のバックネットの裏になります。 逆に右手に上っていくとY字路になり左に行くとますます道は急になり、戸建の住宅群の中に入っていきますが、そこも抜けると所謂、裏山になります。 Y字の叉のところには商店があって、確か、「上の店屋」と呼んでいたと思います。
 さて、駄菓子屋に行くにはそんな通り横断して、反対側にある山道を登ります。 中々急な細い道ですが、何時も歩き慣れているので何のことはありません。 ほんの20m位を上ると、山の上に出て平らな土地になります。 畑があって、更に向こう側には沢山の住宅が並んでいます。 その畑の縁、今登ってきた山の縁を右手に歩いていきます。 少し歩くとある横に張り出した松の根元には上から降りられるようになっていて、隠れ家遊びの拠点になっていました。 また、春のジャッチャ捕りの場所でも有ります。 そこの脇を過ぎると直ぐ駄菓子屋です。 木造の平屋建てで屋根は黒っぽい瓦屋根でした。 一般の家に比べて屋根が低かったと覚えています。 道路に面した二間ほどの間口は全て開放され、数々の駄菓子が縁台の上に並べられていました。 全て木で出来た縁台です。 それで足りないものは並べられたリンゴ箱の上に置かれていました。 私が店に入るのは向かって右端の入り口からです。 何故かというと、この右側の木の壁には籤が掛けられていたからです。 籤は壁に書けるカレンダーくらいの大きさで、上の方に、子供心を擽る賞品が掛けられていました。 鉄砲だったり、顕微鏡だったり(?)色々でした。 その下の部分には紙製の小さな袋がずらっとぶら下がっていました。 袋の大きさはお年玉袋の半分くらいでしょうか。 この中には一つまみの甘納豆が入っていました。 子供の頃には羊羹、饅頭、最中の類の甘いものは一切駄目だった私ですが、この甘納豆は大好きでした。 店のおばあさんにお金を渡してこの甘納豆の袋の一つを選びます。 袋は籤の台紙に糊付けされているだけなので簡単に取れます。 この袋の中に四角い紙が一枚入っていて、これに外れとか一等とか二等とかが書かれていました。 いつも一等を狙って開くのですが、私の場合は一等どころか二等三等にも当たらなかったと思います。 それでもこの籤は甘納豆が食べられたので満足できたのです。 籤にはもう一つの形が有りました。これは景品は同じようになってますが、籤は付箋のように束になっていて、一枚引く毎に舐めて当りを見るものでした。 炙り出しならぬ舐め出しです。 これは多分、甘納豆の籤より安かったと思いますが、スカ(外れ)だと手にも胃の中にも何も残りませんでした。 一発勝負のギャンブルでは有りました。 さて、子供心に勝負が終わると後は手堅いものに目が移ります。 右側の縁台の上を見てみると、籤ではない様々なものが並んでいます。 その中での私のお目当ては試験管に入ったゼリーに様なものです。 正式にはなんていったんでしょうか? 直径1cm、長さ10cm位の透明のガラス管に、黄色や赤色に鮮やかに着色されたゼリーのような食べ物が入っていました。 感触としては今のヨーグルトのような感じです。 これを買うと必ず竹ひごが一本ついてきます。 この竹ひごを使って中のゼリーを上手に掻き出して食べるのです。 これがなかなか技術が必要で、旨く全部食べるのは難しいものでした。 竹ひごが旨く使えない時には口をつけて啜ったりもしましたが、出てくるものではありませんでした。 味は甘辛くて、ニッキの香りと味もしたように覚えています。 紙芝居のオジサンから買ったニッキと同じ物であったのかもしれません。 飴玉類でも印象に残っているものがあります。 名前は忘れましたが、白っぽい灰色で、円柱を斜めに切ったような形をしていた飴です。 4cm位あったでしょうか、大き目の飴です。 口に入れると少し酸っぱいような甘い味がしました。 イモ飴とか言っていなかったでしょうか。 懐かしい味ですが今は目にしません。 もう一つ覚えているのは、凧糸がついた三角錐の形をした飴です。 大きさが違っていて、束ねられた凧糸を引いて、運が良ければ大きなものが当たるやつです。 殆ど自分で買ったことはないのですが、印象には残っています。 薄い黄色い色をしていて、表面にはザラ目のようなものがかけられていたような気がします。 同じような形でも籤形式ではなくて、一定の大きさで色とりどりに着色された飴も有りました。 赤いのはイチゴ味だったでしょうか。 短くついた紐を振回して遊びながら舐めたのを覚えています。 飴では有りませんが、キャラメルでも覚えているものが有ります。 それは今でもスーパーなどで売られています。 サイコロキャラメルです。 印象に残る真四角の白地や赤地の箱にサイコロの目が入ったパッケージのキャラメル。 中には大き目のキャラメルが2個入っていたと思います。 これは今でも買おうと思えば買えます。 オレンジガムは同じように紙の箱に入っていましたが、厚みは半分くらいでした。 中にはオレンジ色の真ん丸のガムが4個(?)入っていて、二つ三つ纏めて口に入れたりしました。 噛むと外側のオレンジの部分がカリッとしていて、内側がグニュッとしていて、一風変わった触感とオレンジの味がして美味しいものでした。 ガムは普通の板ガムも、普通の商店のように並べられていました。 4枚入りのカネボウ食品のガム、ハリスの旋風なんかが印象に残っています。 カネボウのガムは風船ガムとして子供たちが大きさ比べをするのにとても大事なアイテムでした。 チョコレートのことも少し書いておきます。 金色の包みに包れたコインチョコレートやパラソルチョコレートが憧れの的でしたが、駄菓子屋にあるのはそういうものより安価なチロルチョコやライスチョコ、タバコ型のチョコ。 籤付のサッカーボールチョコがメインでした。 タバコ型のチョコは紙の四角の箱型のケースに入っていて、これも仲間内の話題になるものでした。 籤つきのサッカーボールチョコは以前書きましたネ。

 さて、駄菓子屋の店内を半分くらい歩きましたが、大分長くなってきましたので、残りは「駄菓子屋 2」で後日書いてみたいと思います。 

▼麩菓子、砂糖菓子、きな粉菓子、パン菓子、ゼリービーンズ、変わりダマ、コンペイトウ、変わり玉、酢昆布、都昆布、イカ焼き、ゲソ焼き、トンカツ、ABCビスケット、水飴、凧、ベーゴマ、銀玉鉄砲、百連発、2B弾、かんしゃく球、縄跳び、etc,etc▼

2003.08.9